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大河ドラマ「軍師官兵衛」17話 それぞれが失いしは大切な何か [映画・ドラマ]

大河ドラマ「軍師官兵衛」17話の感想です。


5万の毛利軍を相手に700で籠城を続ける尼子勢。

ただひたすら援軍を待ちながら、飢えと恐怖に耐える日々。

しかし信長の「上月を見捨てる」という判断によって

その苦労は水泡と帰したのでした。


必死になって信長に食い下がった秀吉でしたが

信長の意向を覆すことができず、

それを聞いた官兵衛もまた秀吉に食い下がったのですが

秀吉の意向を覆すことができませんでした。


同席していた荒木村重もこの判断に呆れたのか

許可も得ず勝手に去っていってしまいます。



「毛利へ降伏せよ」と伝達を預かった羽柴家家臣の代わりに

上月城へ侵入した官兵衛はそのことを説明して

落ち延びるようにと促しますが、

700とはいえ長きに渡ってついてきてくれた兵や

不利だとわかっていたのに参加してくれた兵をおいて

逃亡した先に尼子再興が見えるはずもなく

この城で自刃を決断した尼子勝久。


官兵衛が帰参したあとで天守閣にて命を立ちました。

いまわの際で山中鹿之助に最後の下知を下します。

「生きよ」

その言葉によって、玉砕覚悟での捨て身の刺し違えをしてから

殿の元へ行くという鹿之助の考えを改めさせました。


勝久亡き後、残った兵士をまとめて毛利に下るとともに

毛利の判断によって毛利旗下に加わることとなりました。



そして毛利からの命令によって

出陣を余儀なくされた鹿之助でしたが

いつか毛利家の命を狙うだろうと疑われている鹿之助を

罠にはめるための作戦だったのです。

…これなんかおかしくないですか?

それなら降伏した時に、「最後まで抵抗された」

という言い訳をして全員殺せばいいだけのことですよね。

ここで食事を与えて元気にしてから武器の所持も許した状態で

殺しにいくっていうのはどうにも理にかなっていませんね。

これが歴史の記録に残っているというのであれば

どこかで書き換えられている可能性が高いですね。

内容的に毛利を貶める記録を残したい人のものでしょうか。



御着では家臣たちが揺らぎ始め、毛利への編纂を促そうと

小寺政職に甘言をささやき始めました。

しかし官兵衛の子である松寿丸を斉の身代わりとして

人質に出した恩を忘れる訳にはいかず、

危うく靡きかけた思考を戻して甘言を退けました。

今のところ辛うじて小寺は織田の傘下にいるようですね。


官兵衛は回復した半兵衛と話をしているのですが

信長のやり方は非常であるといい愚痴をこぼします。

信長は必要なことをしただけであり、

それにただ文句をいうだけのど軍師のやることではない

とその態度に苦言を呈す半兵衛。



※陰謀家秀吉

 以前書いたかもしれませんが私は秀吉を強く疑っています。

 秀吉は織田家乗っ取りを画策していたのではないか、と。

 毛利と繋がっていたという可能性を強く感じています。


 今回の上月城への部隊編成など非常に胡散臭いですよね。

 たった700の兵で5万を打ち破ることなどできるわけがない。

 この配置は下の下策という気がするのです。

 籠城である程度食い止めることができていましたが

 ここまで持つとは思ってなかったんじゃないでしょうか。


 信長の気性を知っている秀吉ならどう判断するかも

 ある程度読めていたはずなのにこの配置はどうにも解せません。


 それどころか、見捨てることさえも秀吉の提案であったか、

 もしくは信長が援軍を回すという言葉を

 意図的に無視した可能性もありえなくはないかと思います。


 毛利との密約でここに毛利の仇敵である尼子を小勢で配置し

 そこに援軍を送ると言って放置することは

 当初の予定だったのではないでしょうか。

 これで信長の信用は失墜しますし、毛利にも利があります。


 毛利を倒されては困る秀吉としては
 
 打倒毛利を掲げる厄介な尼子を抱えて面倒だったはずですし、

 まさに一石二鳥ともいえるでしょう。


 と、今回の事件のどうにも腑に落ちない部分を

 邪推で分析してみたのですがどうでしょうか。

 納得できる部分もあると思いますので、

 可能性はあるのではないでしょうか。




官兵衛は人情を重んじるために今回のやりようには

どうにも納得がいかないようです。

非情にならなければならいのは確かですが、

今回のは道理に外れている気がするのでしょうね。

自分のやり方で今の仕事を貫くと宣言して立ち去りました。



官兵衛は密書を使って毛利をかき乱すといっていますので

疑心暗鬼の策でしょうか。

その策を聞いた太兵衛は孫子を持ち出して引用しました。

腕力一辺倒と思われた太兵衛が孫子を口にして驚く一同。

太兵衛もただ官兵衛に仕えているわけではないのですね。

いい主にはいい家臣がつくものということでしょうか。



毛利に寝返った神吉城を攻め落とした織田軍。

この戦いには上月を見捨てたことで余剰戦力となった

秀吉と村重の軍も編入されています。


この戦いで降伏する敵軍を受け入れた村重が

軍議において問責されました。

投降した神吉城主の叔父を助命したことを問われ

決死の兵士との戦いで痛手を負うこともないと

受け入れたという村重に、

信長は「降伏を認めない」との命を下していると問い詰めます。

村重の言葉が理解できる他の家臣たちが村重を庇って

投降した神吉の叔父を斬首すればいいだけだと提案しました。


そこでうろたえる村重。「仕方城に逃げられた」といいますが、

本当は逃がしたのでしょうね。

村重は毛利と繋がっている可能性が非常に高まりました。


場の空気が冷え込みそうな場面ですが

秀吉が「すぐに仕方城も落とすので問題ない」

と言い出して場の緊張を解きました。


先程も書きましたが秀吉は毛利につながっているとすれば

これも秀吉としては嬉しい結果でしょうね(汗




毛利では官兵衛の書簡によって後方で謀反の気配が生まれました。

浮き足立った毛利は、動くに動けない状態となってしまいます。

そこに現れた宇喜多直家は病が回復したと挨拶にきます。


当初から胡散臭いと宇喜多を疑っていた毛利は

挨拶の際に殺害してしまおうと考えましたが

それを見抜いていた直家は、自分が殺された場合

即座に毛利の敵となって戦を始めるように家中に言いつけている

といって脅迫してきました。


現在において後方から攻められると挟撃されてしまい

5万の大軍勢であっても非常に不利となってしまいます。

直家の殺害は諦めまた軍も後方へ一旦退却することで

状況の見直しを図ることを決心した吉川、小早川の両川。

この行動で毛利も信用を失ったのは間違いありませんね。

しかし全滅の憂き目にあうくらいならとやむを得ない選択でしょうか。


ここで困ったのは毛利についていた播磨勢です。

毛利に見捨てられた状態で織田軍に立ち向かえるわけもなく

このまま滅びることが明白といえる状況となりました。


左京進もその一人であり、櫛橋では動揺を隠せませんが

左京進はそれを一喝で制し、播磨武士の意地を見せよと

家臣を奮い立たせました。

そう言っておきながら切腹してしまった左京進。

まぁ助かる可能性は低かったので、

この選択で家臣が少しでも助かったのなら

よかったということでしょうか(涙


左京進の子は黒田家に引き取られ

黒田家も更に賑やかになりました。

お福はこの悲しき再会に涙を隠せないようですね(涙



そしてお腹の大きくなった妻を見ても幸せそうな顔を見せず

信長からの招致によっていよいよ村重の命は

風前の灯火となってしまったようです。



御着城では病によって命の最期を悟ったお紺は

官兵衛と光に御着を頼んでのち、政職と斉に看取られながら

「官兵衛を頼め」を言い遺して身罷りました。

それによって政職の迷う心はお紺によって抑制されていました。

お紺亡き御着は不安の渦に巻き込まれてしまそうですね。

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